Re:31歳、高校生活はじめました
← もどる
ep.58 2年生

に、を。

1限目はいつも、静まり返った教室から始まった。

僕を挟むようにして、前の席も後ろの席も、ぽっかりと空いている。前の席はさおりちゃん、後ろの席は松木くん。二人の「空白」に囲まれながら、31歳の僕は一人でノートを広げる。それが僕の、いつもの講義の始まりだった。

「どうすれば、彼らがこの場所に居場所を見つけられるか」

単なるお節介じゃない。僕には、彼らに「僕の二の舞にだけはなってほしくない」という、切実で泥臭い祈りがあった。自分がかつて味わったあの疎外感や、一度足が遠のくと戻りづらくなる空気。それを彼らには味わせたくなかった。

前の席のさおりちゃんは、留年して学年が違っていたこともあり、教室ではどこか浮いた存在だった。仲の良いはるととは波長が合うのか、よく一緒に授業をサボって遊びに行っていた。二人でいれば心強い反面、一度「外」の楽しさを知ってしまうと、教室の空気はいっそう重く感じられるものだ。

後ろの席の松木くんも、20歳という年齢は周りの10代に比べれば少しだけ「大人」だ。僕が1年生だった頃と同じように、彼はどこか一歩引いて、周囲の出方を伺っているように見えた。

だから僕は、彼らがいつ戻ってきてもいいように、クラスの空気そのものをコントロールすることにした。同じ学年の仲間であるこうたやまさや、そして時にははるとも巻き込んで、彼らとの会話の輪を意識的に広げていく。「今日は松木くん来るかな?」「さおりちゃん、2限から来るって言ってたよ」。彼らの不在を「放置」するのではなく、誰かが待っているという「予感」に変えていく。彼らが教室のドアを開けたとき、そこがアウェイではなく、知った顔が笑っているホームであるように、僕は密かにパスを出し続けた。

一方で、個別のフォローも徹底した。さおりちゃんがいない朝は、スマホでLINEを送る。「今日は体調悪いの? 授業始まったよー。2限目からでも遅くないから、おいでよ」。正論で追い詰めるのではなく、「今からでもリカバーできる」という選択肢を提示する。彼女の心理的なハードルを、一ミリでも下げるのが僕の作戦だった。

松木くんには、彼の自尊心を尊重したナビを送る。ごみ収集の過酷な仕事を終え、「匂い」を気にしてお風呂に入ってから来たいという彼のこだわりは、僕には痛いほどわかった。だからこそ、疲れで寝入ったり、教室変更で立ち往生したりしないよう、実況するようにLINEを飛ばす。「今日は何時くらいに来れそう?」「いま教室移動したよ。こっちの講義室にいるからね」。情報の不足という「サボる理由」を先回りして摘み取っていく。

そんな日々を繰り返しているうちに、僕の前後にある「空白」には、少しずつ体温が戻ってきた。

僕がLINEを送る前に、松木くんから「今、風呂出ました。2限から行きます!」という言葉が届くようになった。さおりちゃんも、こうたやまさやたちと笑い合う場面が増えていった。

2限のチャイムが鳴る直前、「間に合ったー!」と少し息を切らせてさおりちゃんが目の前に座り、後ろで松木くんが「お疲れ様です」と席に着く。

劇的な変化ではない。けれど、昨日よりは確実に、彼らの足はこの教室に向いている。僕は少しだけ軽くなった気持ちで、次のページのノートをめくった。

つづく →