定時制高校の授業は夜間だが、卒業式は昼間に行われる。
いつもは暗くなってから登校する校舎が、春の柔らかな日差しに照らされている。その光景は、どこか自分たちの日常とは違う「ハレの日」であることを強く実感させた。
在校生として出席できるのは、3年生と生徒会のメンバーのみ。僕は生徒会長として「送辞」を述べるという大役がある。控室で自分の出番を待つ間、筆ペンで一文字ずつ丁寧に書き上げたあの式辞用紙を、開始ギリギリまで何度も何度も読み返していた。
式が始まり、合図とともに各クラスが入場してくる。 定時制の服装は自由だ。全日制なら制服一色になるところだが、ここでは各々が好きな格好で列に加わる。 就職活動のときに買ったであろう少し着慣れないスーツ姿もあれば、なぜか半袖のTシャツ一枚という子もいる。「おいおい、今日は三月だぞ、寒くないのか?」と心の中で突っ込みたくなるような、そんな自由で、少しデコボコした入場風景も、なんだかこの学校らしくて愛おしい。
国歌斉唱が終わり、卒業証書授与が始まった。 名前を呼ばれ、壇上に上がっていく彼らを見つめていると、僕は不思議な感覚に包まれた。
「みんな、この4年間、本当によく頑張ったね」
それは、後輩としての視点というより、彼らを見守ってきた親御さんたちの気持ちに近いものだった。昼間働き、夜に学び、時には挫折しそうになりながらも、この場所に辿り着いた60名ほどの卒業生。一回り以上年下の「先輩」たちが歩んできた4年間の重みを想像して、僕の視界は自然と潤んでいた。
やがて、僕の出番が来た。
来賓の方の祝辞が終わり、「生徒会長、板野秀一くん」と僕の名が呼ばれる。 国旗と校旗に深く一礼し、ゆっくりと階段を登って壇上に上がる。
演台の前に立つと、正面には60名の卒業生と、その後ろで見守る家族や先生、来賓の方々。合わせて100名を超える視線を一度に浴びるのは、人生で初めてのことだ。 心臓がうるさいほどに鳴り、指先がかすかに震える。けれど、壇上のライトが想像以上に眩しく、僕の視界を白く染めていた。強い光のせいで客席の顔ははっきりとは見えない。まるで、自分一人だけが光の中に取り残されたような、不思議な静寂を感じた。
胸ポケットから、あの丁寧に書き上げた式辞用紙を取り出し、演台に広げる。 マイクに向かって、最初の一声を放つ。
「……本日、ここに……」
自分の耳に届いた声は、驚くほど震えていた。 (あ、これめっちゃ声震えてるやん!) 頭の中で、もう一人の自分が冷静に突っ込みを入れる。あんなに準備したのに、やっぱり緊張には勝てなかったか。
けれど、文字を追い、一文、また一文と言葉を紡いでいくうちに、不思議と震えは収まっていった。 一文字ずつ魂を込めて書いたあの時の感覚が、指先から全身に伝わってくる。小学生のとき、作文が一行しか書けずに居残りしていた僕が、今、大勢の人の前で自分の言葉を届けている。
一度も噛むことなく、最後の一文まで読み切った。 「ありがとうございました」 深々と頭を下げたとき、眩しい光の向こう側から、温かい拍手が降ってきた。
僕の後には、卒業生代表の「答辞」が続いた。 演台に立ったのは、前生徒会長であり、ハイキング部でも一緒に歩いたきみ先輩だ。彼女の言葉は凛としていて、4年間の誇りに満ちていた。その立派な姿を見て、あぁ、この人を送る言葉を述べることができて本当に良かったと、心から思った。
式が終わり、校歌を歌い、卒業生たちが退場していく。 かつて16歳で学校を投げ出した僕が、16年後に「見送る側」として卒業式を終えた。
やり直しに遅すぎることはない。 もっとも、本気で向き合えば、言葉はちゃんと届く。 眩しいライトの残像を目に焼き付けながら、僕は一つ、大きな階段を登り終えたような気がしていた。