生徒会長という役職には、卒業式で「送辞」を読み上げるという大きな役割がある。
誰かに「やってほしい」と頼まれたわけではない。けれど、生徒会長になった以上、それが当たり前の務めなのだと知ったとき、僕は「書かなければいけない」と静かに腹を括った。
実を言えば、僕は昔から文章を書くのが死ぬほど苦手だった。
小学生の頃を思い出す。作文、読書感想文、遠足の感想文……。原稿用紙を前にすると、僕の思考はいつも真っ白にフリーズした。 何を書いたらいいのか、その「書き方」すらわからなかった。教室を見渡しても、書き方を教えてくれる先生はいなかったし、もしかしたら、僕がただ説明をちゃんと聞いていなかっただけなのかもしれない。けれど、当時の僕にとっては、あの真っ白なマス目を埋める作業は、暗闇の中で道を探すような途方もない苦行だった。
結局、題名と名前を書き、本文に「面白かったです」とたった一行書くのが精一杯。 放課後、真っ白な原稿用紙を前に一人、教室で居残りさせられていたあの時間は、僕にとって世界の終わりと同じくらい、重苦しくて孤独な時間だった。
「本当に、こんな僕が大役を務めることができるのだろうか」
人生で初めて挑む「送辞」という大役を前に、そんな不安が何度も頭をよぎった。16歳で学校を投げ出した僕にとって、高校の卒業式はもう二度と味わうことのない、縁のない遠い世界の出来事になっていた。何をどう書けばいいのか、正解もわからない。けれど、逃げるという選択肢はなかった。やるしかない。もう、やるんだと決めていた。
伝えたい「芯」の部分だけは、自分の中に確かにあったからだ。
4年生まで、この夜間定時制高校に通い続けた先輩たちへ。 昼間は汗を流して働き、夜にこの校舎へ集まってきた人。家庭や心に、それぞれ人には言えない事情を抱えながらも、それでも歩みを止めなかった人。 彼らが積み上げてきた、その一日一日の重みを、僕は同じ空気を吸う仲間として、そして人生の少し先を歩く「後輩」として、自分なりに知っているつもりだった。
書いたのは、驚くほどシンプルなことだ。 「この4年間を頑張り抜いた君たちなら、これからの長い人生でどんな壁にぶつかっても、きっと乗り越えていける」 たった一行しか書けなかったあの頃の自分を、自分の言葉で追い越していく。
問題は、内容よりも「字」だった。
送辞は、学校の正式な記録として残るものだ。そのため、最初から「筆ペン(毛筆)」で書くことが決まっていた。 僕は以前から、自分の字の下手さに強いコンプレックスを持っていた。そんな僕にとって、不慣れな筆で一文字ずつ清書しなければならないというルールは、正直言って相当なプレッシャーだった。
もちろん、僕が壇上でその紙を読み上げるだけだから、卒業生たちに僕の字が直接見えるわけではない。けれど、これは式の後もずっと学校に保管される「公文書」のようなものだ。
後で誰かがその記録を開いたとき、字がひどいと思われるのが怖かったわけじゃない。人からどう見られるか、なんていうちっぽけなプライドは、この学校に入り直したときにとっくに捨てていた。
ただ、先輩たちの門出を祝う大切な書類を、いい加減な気持ちで不格好なままにしておくことだけは、どうしても自分の中で納得がいかなかった。自分を信じて大役を任せてくれた学校や、卒業していく先輩たちに対して、今の自分にできる精一杯の誠実さを示したかったのだ。
ここで、あの「書道」の授業が生きた。
白髭の仙人先生に、「やり直し!」と何度も突き返されたあの厳しい時間。 ひらがなの「の」一文字にすら苦戦した、あの泥臭い稽古。 あの日々があったからこそ、僕は筆ペンを握る指先に、確かな「重み」を感じることができた。
僕は一文字一文字、いつもの何倍もの時間をかけて、丁寧に、丁寧に筆を動かした。 書き直しができない緊張感の中、頭の中では、仙人先生の「筆を置く角度を考えなさい」という厳しい声が再生されていた。 集中しすぎて、指先が白くなるほど力が入り、一文字書き終えるたびに深く息を吐き出す。
実際に何度も書き直したわけではない。けれど、一画でも間違えれば最初からやり直しになる。その極限の集中力で書き進め、ようやく最後まで納得のいく字で埋まったとき、夜間高校の窓の外は、さらに深く、静かな闇に包まれていた。
仕上がった原稿を、国語の先生に見せに行った。 その先生は、僕が所属しているハイキング部の顧問でもあった。週末に一緒に山を歩き、他愛もない話をしてきた先生だ。僕の文章の拙さも、この学校でどう過ごしてきたかも知ってくれている先生に、「ちょっと見てもらえますか」と確認をお願いしたんだ。
「特に修正はないよ、いい文章だね。……それに、すごく丁寧に書けている」
先生にそう言ってもらえたとき、ようやく肩の力が少し抜けた。
完成したばかりの、筆書きの送辞を両手で持って眺めた。
中卒で、ただひたすらトラックのハンドルを握っていた頃の自分。 何を書けばいいかわからず、教室でポツンと居残りをしていた頃の自分。 そんな彼らには、想像すらできなかった光景だ。
31歳で高校生に戻り、生徒会長になって、あの日投げ出した「卒業式」という場所で、今度は送る側の言葉を、自分の手で、心を込めて綴っている。
人生は、どこでどう転がるか本当にわからない。 苦手だった書道が、そして書けなかったはずの文章が、こんなところで僕の背中を支えてくれるなんて。
あとは、本番の壇上でこの想いを届けるだけだ。 僕は少し厚みのあるその紙を、大切にカバンへと仕舞い込んだ。