2月になると、校内から4年生の姿が少しずつ消え始める。
就職活動や進路を終えた4年生は、登校する必要がなくなるのだ。昨日まで当たり前のように廊下ですれ違っていた「先輩」たちが、ある日ふっといなくなる。定時制高校の冬には、全日制とはまた違う、独特の静けさと寂しさがある。
仲良くしてくれたハイキング部のあかい先輩や、元生徒会長のきみ先輩。彼女たちは僕より一回り以上も年下だけれど、定時制高校での楽しみ方や過ごし方を教えてくれた、僕にとっての大切な「先輩」だった。
学年でいえば僕の方がずっと後輩だけれど、年齢は僕の方が一回り以上も上。そんなあべこべな関係の中でも、「かいちょー!」と明るく声をかけてくれる彼女たちの存在は、この場所に来て良かったと思わせてくれる大きな支えだった。
そんな先輩たちに、もう気軽に会えなくなる。 正直、たまらなく寂しかった。
2月、4年生を送る会が開かれた。 各学年が歌を歌ったり、手作りのプレゼントを贈ったり。先生たちからのメッセージビデオが流れる、1時間ほどの温かな会だ。しんみりとした場面もあったけれど、泣き崩れるような重さではなく、どこか清々しい空気が漂っていた。
軽音部の出番が来た。 バンド編成ではなく、この日は僕が一人で前に出て、アコースティックギターを抱えた。
選んだ曲は、Mr.Childrenの「旅人」だった。
この曲の中に、どうしても今の僕が、卒業していく彼女たちに届けたいフレーズがあった。
「どうせだめならやってみよう」
定時制高校という場所にたどり着くまでに、何かに躓いたり、うまくいかなかった経験を持つ人は多い。それでも4年間、夜の校舎に通い続けて、今日卒業していく。そのプロセスの重さを、僕は31歳の1年生なりに知っているつもりだった。
踏み出すのが怖くても、どうせだめならやってみればいい。その一歩が、今日この場所へと繋がっているはずだから。
そしてもう一つ、こちらが本当に伝えたかった言葉があった。
「ありがとう こんな僕に付き合ってくれて」
31歳で入学して、明らかに浮いていたはずの僕を、みんなは普通に受け入れてくれた。年下の先輩たちが、変な壁を作らずに「かいちょー!」と笑って、声をかけてくれて、一緒にいてくれた。その当たり前のような優しさが、どれほど有り難かったか。この曲を選んだのは、もしかしたらこの一行を叫びたかったからなのかもしれない。
ただ、歌いながらふと気づいた。
この曲は先輩たちに向けて選んだはずなのに、歌詞が自分自身のことにも重なって見えたのだ。「こんな僕に付き合ってくれて」という言葉は、僕が彼女たちを送り出すための言葉であると同時に、この1年間、学校生活を通してずっと感じていた感謝そのものだった。
さらにもう一つのフレーズは、自分自身への戒めのようでもあった。
「この人生を全うせよ 誰のものでもないと 図にのってしくじって そんで今日も神頼み」
高校を中退して、トラックを走らせ続けて、空回りを繰り返して。それでも今、僕はここにいる。他の誰でもない自分の人生を、今度こそちゃんと全うしなければいけない。そう決意させてくれたのも、この場所だった。
会が終わった後、2人の生徒が近寄ってきてくれた。 「歌、良かったですよ」 そのうちの1人が、あかい先輩だった。
あの100点満点の笑顔で言ってくれたその一言が、何よりの報酬だった。
「ありがとう、こんな僕に付き合ってくれて」 歌の中で届けたつもりのその言葉が、今度は向こうから温かな光になって返ってきたような気がした。
次に会うのは、いよいよ卒業式だ。