生徒会選挙の翌日、就任あいさつがあった。
全校生徒が食堂に集まり、僕は壇上に立った。 「生徒会長になりました、板野です。よろしくお願いします」 ——それだけだった。特別なことは何も言わなかった。でも、この日を境に、何かが決定的に変わった。
入学してからずっと、僕が欠かさず続けてきたことがある。 それは、廊下ですれ違う生徒に、片っ端から「こんにちは」と声をかけることだ。
けれど、これまでは返事が返ってくることはほとんどなかった。無視されるのが当たり前。 「誰だこのおじさん……?」 そんな困惑と警戒の入り混じった空気が、常に廊下に漂っていた。
無理もない。生徒か先生かもわからない、素性の知れないおじさんから突然あいさつされても、返事のしようがないのだ。名前も知らない。どこのクラスかも知らない。僕は彼らにとって、ただの「謎のおじさん」でしかなかった。
しかし、就任あいさつの後、その景色が一変した。
「知らないおじさん」が「生徒会長」になったのだ。 名前は知らなくていい。「会長」という肩書きが、僕の顔と結びついた瞬間、僕は「知らない人」から「知っている人」へと変わった。
廊下で「こんにちは」と声をかけると、「こんにちは」が返ってくる。 たったそれだけのことなのに、その声は以前とは全く違って聞こえた。
手応えを感じた僕は、17時前に下駄箱の前で待ち構えるようにした。登校してくる生徒を出迎えて、片っ端から声をかけるのだ。 校門前では先生二人がすでにあいさつをしている。その先で僕がもう一度あいさつをする。「挨拶の二段構え」だ。
そのうち、向こうから先に声をかけてくれる生徒も出てきた。
「会長、こんにちは」
同じクラスの生徒は「板野さん」と名前で呼んでくれる人が多かったが、それ以外の生徒には「会長」として認識されていった。名前よりも先に肩書きが広まっていく、不思議な感覚だった。
この一言が、思いのほか嬉しかった。 生徒会長になったからといって、僕自身が特別に何かを変えたわけではない。やっていることは入学当初と同じだ。それでも、「会長」と呼ばれるたびに、自分がこの学校にちゃんと存在している、受け入れられているという実感が湧いてきた。
この学校に、おじさん生徒会長あり。そんな空気が少しずつ、けれど確実に育っていくのを、僕は肌で感じていた。