入学して二ヶ月。一年生にとって最初の大きなイベント、校外学習――つまり「遠足」の日がやってきた。
目的地は浅草。事前に班を組み、観光スポットを調べて予定を立てる。自由行動のための練習のようなものだ。しかし、この「班を組む」というルールが、教室に独特な空気をもたらした。
「仲の良い者同士、最低三名以上で一組になること」
今回の遠足は、自分のクラスだけでなく他クラスの生徒も含めてグループを作っても良いというルールだった。三十一歳の僕は、自分が一人になることへの不安はこれっぽっちもなかった。最悪、一人で浅草をぶらついても十分楽しめる自信があったからだ。
けれど、周囲を見渡せば、すでに仲の良い者同士で固まっているグループがある一方で、どうしてもその輪に入りきれず、所在なげにしている子たちがいた。
そんな時、先生から声をかけられた。
「板野さん、まだグループを組めていない子が何人かいるんだ。悪いんだけど、一緒に入れてあげてくれないかな」
頼まれた僕は、二つ返事で引き受けた。「いいですよ、任せてください」と。 彼らにとっても、無理にどこかの輪へ入り込むよりは、大人である僕と一緒の方が気が楽かもしれない。そうして、まだ居場所を見つけられずに一人でいた子たちが集まり、僕がリーダーを務める即席の寄せ集めグループが出来上がった。
しかし、問題はここからだった。
「どこか行きたい場所ある?」 「……」 「お昼はどうしようか。何か食べたいものあるかな」 「……」
驚くほど、彼らは口を開かない。それどころか、僕が話題を振っても、まるで見えていないかのように無視される。やる気がないというより、そもそもこの行事に対しても、僕という存在に対しても、一ミリも関心を持とうとしない「拒絶」に近い無関心さが伝わってきた。結局、予定表の空欄はすべて、僕が一人で埋めるしかなかった。
遠足当日は現地集合。 十年のトラックドライバー生活で染み付いた習性で、僕は集合時間の十五分前には浅草に到着していた。
周りの班が次々と揃い、先生に写真を撮ってもらって元気よく出発していく。ところが、僕の班は集合時間になっても、誰一人として現れない。
「なぜだ……!? なぜ集合時間に来ない!」
五分、十分と時間が過ぎる。焦っているのは僕だけで、彼らにとって時間は守るべきものでも何でもないようだった。そう、彼らは徹底的に時間にルーズなのだ。遠足なんてしたくない、学校のイベントなんて「めんどくさい」の極致。そんな投げやりな空気が、遅れてやってきた彼らの無表情な顔に書いてあった。
結局、全員が揃ったのは集合時間の二十分後だった。
出鼻を挫かれたが、気を取り直して歩き出す。 僕が先頭に立ち、予定通りのルートを案内していく。後ろを無言でついてくる彼ら。 「ここ、有名な場所なんだよ」「何か気になるお店ある?」 何度か明るく話題を振ってみた。けれど、返ってくるのは冷ややかな沈黙か、あるいは聞こえていないかのような徹底した無視だった。
何を言っても響かない。感情を一切動かそうとしない。クラスメイトと歩いているはずなのに、気分は完全に「やる気のない、およびこちらを透明人間だと思っている生徒を引き連れた引率の先生」だった。
予定を一つひとつ、機械的に捌いていく。 案内しながら、僕は猛烈に「もう帰りたい」と思っていた。 ちっとも、楽しくないのだ。
僕一人が空回りして、彼らはただ無言でそれに従い、僕を無視し続ける。 全員が早々に予定を消化してしまったので、最後はもう、お互いのために「自由行動」にすることにした。
「最終的に集合時間に雷門前にいればいいから、あとは集合時間まで好きに過ごしていいよー」
そう伝えて彼らと別れ、ようやく一人の時間になった。 16時、雷門前に再集合し、彼らが全員揃っているのを確認して、順次解散。
「お疲れ様」と声をかけて彼らを見送った後、僕は一人、浅草の街に居残った。 お土産を買う気分でもなかった。ただ、一刻も早くこの「引率」の緊張感と空虚さから解放されたかった。
僕はそのまま、浅草の「ホッピー通り」へ向かった。 昼間から煮込みの匂いと笑い声が溢れる、あの独特な活気。観光客や常連客でごった返す中、僕はすり抜けることもせず、そこにあった店先のテーブルにそのまま腰を下ろした。
「ビールください」
賑やかな喧騒のど真ん中。 運ばれてきたジョッキを煽りながら、僕は静かに反省していた。 「任せてください」なんて安請け合いした今回の試みは、完全な失敗だった。
「一人でいる子たちをただ集めても、心の距離は一ミリも縮まらなかったな……」
なぜ、あんなにも彼らは口を開かず、こちらを無視し続けたんだろう。 何を振っても届かない。あの徹底した無関心さと、時間を守る気さえないルーズさ。それこそが、彼らが抱えている「学校や大人への強い不信感」や、すべてを拒絶するような心の壁の表れだったのかもしれない。ただ数だけ揃えて形としての居場所を作っても、彼らの心の重く冷たい扉を叩くことまではできなかった。
冷たいビールの苦みが、大人の空回りを笑っているようだった。 ホッピー通りの活気の中に一人で座り、この沈黙と無視の壁をどうすれば崩せるのかを考え続けた。
一人で飲む一杯は、ちっとも美味しくは感じられなかった。 「今回の試みは、僕の失敗だったな」 そう自分に言い聞かせるように最後の一口を飲み干し、僕は夕暮れの浅草を後にして、家路についた。