いくつかある授業の中で、現代社会の時間だけは、教室の空気が少し違っていた。
担当は「黒茶先生」。いつもニコニコしていて、ひょうきんな雰囲気を纏ったおじさん先生だ。毛髪が少し寂しいことを自らネタにするようなチャーミングな人で、その場にいるだけで周囲を和ませる力を持っていた。
黒茶先生は、昼間は大学で講義を持ち、夜になるとこの定時制高校にやってくるというハードスケジュールをこなしていた。それなのに、授業中の先生はいつも本当に楽しそうで、そのエネルギーは僕たち生徒にも伝わってきた。
授業のスタイルも、他の科目とは一線を画していた。 大学の講義でよくあるような——と言っても、中卒の僕は大学なんて一度も行ったことはないのだけれど——スライドを見ながら配布されたレジュメの空欄を埋めていく方式だ。
黒板の文字を必死に書き写す必要がない分、先生の話をじっくり聞き、考えることに集中できる。スライドを見て、話を聞き、手を動かす。このリズムが不思議と心地よく、内容はスルスルと頭に入ってきた。和やかな空気の中で、気づけばチャイムが鳴っている――そんな充実した時間だった。
そして、この授業にはもう一つ、僕たちを夢中にさせる特別なルールがあった。
授業が1回終わるごとに、その日のレジュメに先生がシールを貼ってくれるのだ。 それは黒茶先生が趣味で集めているシールたちで、100円ショップで見かけるようなものから、1枚200円もするような凝ったものまで、実にバリエーション豊かだった。
「今日はどんなシールかな」
そんな小さな楽しみを積み重ね、すべての授業に出席してシールをコンプリートすると、最後の一枚として「金メダル」のシールが授与される。
ついにその金メダルを手にした時の気持ちは、今でも鮮明に覚えている。
手元に並んだ、色とりどりのシールの列。その一番最後に輝く金メダルを眺めながら、僕は静かに感動していた。
(あぁ、これらが僕のやってきた結果なんだな……)
1枚ずつ、休まずに積み上げてきたシール。それは、僕がこの場所で過ごしてきた時間の、揺るぎない証拠だった。目に見える形で努力が積み上がっていくことが、これほどまでに自信と勇気をくれるものだとは、31歳になるまで知らなかった。自分の歩みが「形」として残ることの心強さを、僕はレジュメを眺めながら静かに噛み締めていた。
「やり直し」の道のりは、まだ始まったばかり。 けれど、レジュメに貼られた小さな金メダルは、僕に「これからも大丈夫だ」と語りかけてくれているようだった。
たかがシール、されどシール。 黒茶先生がくれたその小さなご褒美は、僕の「1年生」の大切な宝物になった。