ハローワークに通い始めた頃、一枚のチラシが目に入った。
「職業訓練校」
通いながら手当がもらえて、しかもプログラミングなどの専門スキルを基礎から学べる。独学にわずか1週間で白旗を上げた僕にとって、それはまさに救いの神のように思えた。
「学校に通って、プロに教われば、独学ではわからなかったことも理解できるはずだ」
僕はすぐに申し込みを済ませ、面接の日を待った。中野にある訓練校まで出向き、パイプ椅子に座って順番を待っている間、僕はなぜか「絶対に受かる」という謎の確信を抱いていた。
根拠なんて、どこにもない。ただ、今の自分には「やる気」だけは満ち溢れていた。腕立て伏せも水泳も、やればやるだけ成果が出ている今の自分なら、その熱意さえ伝えれば道は開けるはずだ。そんな、根拠のない自信に背中を押されていた。
面接を終えて家路につく間も、不安はほとんどなかった。全力は出した。あとは通知を待だけだ。
しかし、届いた結果は「不合格」だった。
通知の文字を見た瞬間、目の前が真っ白になった。 なぜだ。あれだけやる気があったのに。中卒の僕が、人生をやり直そうと必死に手を伸ばしたのに。プログラミングを学びたい、新しい自分になりたいという気持ちは本物だったはずなのに。
悔しさが、じわりと胸の奥からこみ上げてきた。けれど、その感情は、これまでの人生で味わってきた「失敗」とは少し毛色が違っていた。
不思議なことに、ショックのすぐ後に、ある一つの直感が頭をもたげた。
「……あぁ、これには縁がなかったんだ。きっと、もっと良い道へ導かれているんだな」
思えばこの頃から、自分の中で何かがダメになったとき、それを単なる「不幸」とは捉えなくなっていた。扉が閉まったということは、そこは僕の行くべき場所ではないということ。そして、別のどこかに、僕のために新しく開かれている扉があるということ。
論理的な根拠なんて、一つもない。ただの負け惜しみだったのかもしれない。それでも、何かに導かれているという感覚だけは、驚くほど静かで、確かなものだった。
この「ダメなときこそ、より良い道へのサインだ」という考え方は、その後の僕の人生に計り知れないほど大きな影響を与えることになる。
どんなに高い壁にぶつかっても、予想外の不運に見舞われても、「この先にもっと素晴らしい何かが待っているはずだ」と信じられる。その確信が、僕を絶望から救い、常に前へと歩ませる原動力になったのだ。
「この結果には意味がある。プログラミングじゃない別の何かが、きっとどこかで僕を待っているんだ」
そう思った瞬間、肩の力がふっと抜けた。 あんなに執着していたプログラミングへの興味が、潮が引くように、きれいに消えていくのを感じた。
「できないこと」を無理に追いかける時期は終わった。 アプリを作る側にはなれなかったけれど、この不合格という「拒絶」が、僕を本当に行くべき場所へと押し戻してくれたような、そんな不思議な解放感に包まれていた。
プログラミングという夢の終わり。 それは、まだ見ぬ「本当の道」への、最初の一歩だった。